インターネットがインフラとして定着する前は、知らない人と会話することは、基本的には不可能であった。不特定多数の人に考えを述べたり、著名人と意見を交換することは、運やみずからの才能の他がないかぎり、お金や時間がかかるものだった。
現在ではこうして、あまり読まれないにしても文章を公開することができるし、著名人に話しかけたりも出来なくはない。この生活様式は、とても異常なはずなのだが、当たり前に思ってしまっている。インターネットによる生活様式の変化は、他にもアップル製品や、ツイッター、ニコニコ動画、2ちゃんねるなどあるが、やはりグーグルは、検索だけでなく、地図など、生活に欠かせないものになってしまった。
グーグルアースにゲニウス・ロキも映されて蛇怒りつつ去っていくなり
衛星写真にコラージュされたふるさとの無人のくせに明るいおもて
鏡の中のぼくも思考しうるのなら、ゲニウス・ロキ(地霊)も鏡に住めるのかもしれない。いや、むしろ、人がいなくなって、記憶する人もなくなってしまってから、この風景は脈うつのかもしれない。
こんなに生活様式が異なって、過去を失いながら、なお、31文字の表現を、声に出さず、書きもせず、打ち言葉で、横書きで、ディスプレイに表示しながら、表現するのは、とても奇妙なことだ。万葉人の心情がわかるのは、不思議なことだ。
第一歌の解釈あやしき万葉の菜摘ます君がかすみつつ笑む
手紙、電話、ファクス、メールと近づいて逢ってしまわぬまでが相聞
もっとも、恋は不変だ、みたいなものも、様式が変われば、たぶんなくなる。というか、すでに相当変わっているのだろう。
自選。
冷蔵庫にパンのシールを貼りしまま彼女は去りにけり、去りにけり
水車小屋の遠くに見える川辺にてオフィーリアの手のかたちを思えり
水瓶座のぼれば乾季ようやくに終わらんとする異国の夜分
慈雨はじまりみるみる染まる土の色の雨とは何か土とは何か
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