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2016年1月2日土曜日

2013年12月作品雑感。

あけましておめでとうございます。本年もどうぞよろしくお願いします。

年末、といっても3年前の年末の作品です。
年末というのは、次の月が明けてしまうものだから、より明けてしまう直前の、より暗い部分があったりなかったり。

  シネイドの少し甘えた声をして喪失を歌う、歌うほど憂し

照屋などはずっとシンニード・オコナーと呼んできたから、シネイド言われてもピンと来ないけれどねえ。いつぞやラジオを聴いていたら、シンニード・オッコナーと呼んでいる人もいたな。その人にとっては、オッコナーなんだろうね。

  軽妙に気持ちは沈む年ふれば季節天気が身に及びゆき

  無害また老害に似てさびしげな笑みなどはつゆ浮かべてならぬ

  衰滅(すいめつ)の正体を深く辿りいて思い当たりしひとつの不信

憂いというのは、老いというものとつながっていて、現代の日本の空気は、全体がそうでないにしても、とても老いを恐れているようなところがある。恐れているから、◯◯力みたいに逆説的にポジティブにとらえてみせるし、老害と嫌悪したりする。

むかしは痴呆症のことをボケと呼んだが、これはボケは病気ではなく、老人の一属性であったのだろうし、ボケててもそれなりに生きることが可能であったのかもしれない。(もちろん長寿によって深刻度は増しただろうし、迷惑やしんどさはあっただろう)

老いの問題は、たぶんもっと大きな日本の思想文化のひとつの現れ方にすぎなくて、自殺とか差別とか、フェミニズムとか、オタクとかと根っこでつながっているように思う。

はっきりとはよくわからないけれど、ここ数年、ネットなどの議論は、ずーと同じ話題が繰り返されているようにもみえる。

ま、新年のあらたな気持ちなんか、千年以上繰り返されているんだけどね。

自選。
  人心も自然の比喩であるならば明けない夜があったりもする

  小麦粉を水に溶きおりかつて人は錬金という救いに燃えつ

  来世にもこんな喧嘩をするのだろうテーブルに冷めた食事のような

  花笠の娘の踊り明るくて過去世の業を断ちゆくごとし

  本質に届かなくてもいい夕べ、小動物を撫でて酒飲む

2013年12月の31首

鈍色のうみそらを橋に巻きながら海峡の風は声に変われり

訛りたる老父の話をこたつにて聞くとき末っ子の顔がある

晴れたれば島がかすかに見えるとう島端にきて眺めては去る

喜ばしたき顔をいくつ浮かばせて花屋の赤と緑の人は

シネイドの少し甘えた声をして喪失を歌う、歌うほど憂し

アートとは刺激物にて名品に慣れた眼(まなこ)を知で初期化する

蔵のようなくらきところで泣いている怠惰不遜と人恋うこころ

人心も自然の比喩であるならば明けない夜があったりもする

好もしい人間はそう易くなし愚直にソ音で挨拶をすれど

小麦粉を水に溶きおりかつて人は錬金という救いに燃えつ

辿るならつらつらつらき時期なるを思い出はほんの数シーンのみ

軽妙に気持ちは沈む年ふれば季節天気が身に及びゆき

無害また老害に似てさびしげな笑みなどはつゆ浮かべてならぬ

来世にもこんな喧嘩をするのだろうテーブルに冷めた食事のような

衰滅(すいめつ)の正体を深く辿りいて思い当たりしひとつの不信

律儀なる生のかなしや、決めたことを迷いまよいて、まよいて守る

飲むような飲まないような夕方になんとかディンガーの猫が横切る

花笠の娘の踊り明るくて過去世の業を断ちゆくごとし

卑しき身を労働は救うかにみえて疲れて少し軽かるものを

至高なる落語に眠る、人間の業はサゲにて救われざるも

タクラマカンの語を検索す数刻前稚拙なる人のたくらみに遭い

寒く冷たく風また傘を押し引いて日本の今日の雨は悲しき

モノレールものもの進み鐵道よりのちの技術で遅きがたのし

いちねんも十日を切れば醤油の香ふとただよえり新宿駅に

磔刑のアイコンは祝を吸い続く咆哮の夜の絶えぬ種族に

おっさんもおおむね孤独、風来坊の顔して定食屋にくぐり入る

本質に届かなくてもいい夕べ、小動物を撫でて酒飲む

始まりは終わりの比推、なるゆえに今年の詩句は今年のうちに

テレビ欄の区切りが消えてだらだらの堕落の深き果てに決意は

並びいる土鈴かわゆし、めでたくて清しきものを魔は除けるらし

鬼どもを集めて語る来年の大法螺を仕込み楽しき真顔ぞ

2015年12月27日日曜日

2013年11月作品雑感。

この月の作品は、百人一首ならぬ都道府県一首みたいなテーマで、1県で1首を作るような意図であった。でもまだ全県できていなくて、継続中とはいえる。

しかし当然、ご当地ソングでもなければクイズでもないので、その県を示すような単語を入れたりするつもりは基本的にはなく、その県「を」詠う、というよりは、その県「で」詠ったような体裁になっていると思う。

とはいえ、多くの場所は観光として行くことになるので、やはり観光とか旅行詠っぽいといえばいえる。

翻って、短歌と土地の匂いとの関係について考える。

短歌とはかつて都、京都、つまり貴族社会への通行手形であった、という説があるが、鎌倉武士が和歌を学ぶとき、そこになにか、みやこっぽい、優雅だけどもねちねちしていやらしい、いまの関西人が東京の標準語を「きっしょー」と思うようなものを感じたのだろうし、ぎゃくに、身を焦がすほど憧れた人もいただろう。

現在でも、ひょっとしたら、土地と作風を合わせたデータを集計したら、わりあいしっかりとした相関関係が出てくるかもしれない。(個人の作風を超えて)

自選。
  温泉街の売店の古きガラス戸に先代の作が飾られてあり

  おそらくは天気と海の話ならむ訛りを聞けり、海は群青

  東京についに来たれば車窓から街の緑とノザキの書体

  工場のすえた匂いの下宿にてガチャリとテープはB面に行く

  東京に憧れながらこの土地でそれなりにくすぶって彼女は

  連峰の景色を愛しおそらくはここで死ぬことなけむふるさと

  支払いは姉が済ませて血の赤き肉を食いおり、姉弟(きょうだい)は濃し

  シュルレアリスム展を観たがる子を乗せて県越えて父は車を飛ばす

  明るくてさびしい駅に会いにゆき蓋取れやすきCDを返す

2013年11月の30首

トリカブトの白き花咲く散歩道観光化して民族は生く

霊場はあまたの過去をうちしずめみずうみの水澄みて風ゆく

急上昇する夜鷹ひとつ刻まれてこのまま時よ、止まれ/進め

温泉街の売店の古きガラス戸に先代の作が飾られてあり

おそらくは天気と海の話ならむ訛りを聞けり、海は群青

砂浜に車を止めて海見つつコップ酒のみ昼寝せし町

ロードサイドにさっきも見たるラーメン屋の次見れば入ると決めてから見ず

ミニチュアの建築物に降り積もる雪、故宮にもスフィンクスにも

アリーナの横のあたりでヒーローは戦っており、迷いを捨てて

バス停の裏の溝渠を飛び越えて女は家に男を連れて来

東京についに来たれば車窓から街の緑とノザキの書体

傘のしたに野良猫が足にすり寄ってズボンも猫も濡れているなり

平日の駅へと続く商店街の開店直前のままの日常

廃村が世界遺産になるまでの昼でも昏(くら)き板敷を踏む

若き父と二人でウドン啜りいしドライブインに遠きバイパス

誰もいぬ温水プールに飛び込んで本当に疲れるまでひた泳ぐ

坂の途中に老夫婦ひとつ生きており女の方が少し元気に

工場のすえた匂いの下宿にてガチャリとテープはB面に行く

コンビニをテレビの世界と思う頃ぼんやり見おりポール看板

東京に憧れながらこの土地でそれなりにくすぶって彼女は

支払いは姉が済ませて血の赤き肉を食いおり、姉弟(きょうだい)は濃し

シュルレアリスム展を観たがる子を乗せて県越えて父は車を飛ばす

連峰の景色を愛しおそらくはここで死ぬことなけむふるさと

寮生が近道にする農道の彼らばかりが見し彼岸花

友人は見舞いの頃には饒舌ではやくカレーが食いたいと云いき

柿のない季節に来たり、古本のガイドブックで巡る寺刹の

山腹にみかんの色がかがやいてそのかみ友誼をやすく受けいし

人口の減りゆく国のおのずから夜の明かりのあたたかく見ゆ

みずうみは黄色に光り幸福の顔は見ずとも疑わずなり

明るくてさびしい駅に会いにゆき蓋取れやすきCDを返す

2015年12月20日日曜日

2013年10月作品雑感。

短歌とは何か、という問いはさんざんされてきたのであろうが、いちばんふわっとした、大きな言い方をするならば、「五七五七七的なもの」といえないだろうか。照屋は現在そんなふうに考える。
「的」を入れたのは、もっぱら音の問題で、頭の中の拍みたいなものを、ちょっと早めたり遅めたりしてなんとなく五七五七七に収まれば、それもOKである、というような意味である。
いや、もう少し言葉を足すと、「五七五七七的な音数でひとかたまりと言いうるような伝達物」という方が適切かもしれない。このあたりの定義が、いちばんうっすーい、溶けかけのオブラートみたいな境界線なのかなーと照屋は考える。

かつて何かで見知った、正岡子規は、俳句の中で初めて柿を食った俳人で、その瞬間に、俳句で柿を食ってもよくなった、というような、フレームとか共同幻想とか言われるような表現の破れをめざすのは、現代において短歌表現を行なうひとつのねらいだとは照屋は考えていて、そういう、まだ「短歌的」ではないけれども、その作品のあとにはそれが「短歌的」になるようなものが作りたいし、見たいと思ったりする。

なので、短歌が「歌いそうに」なると、ずらすし、外すし、逆に、もっと「歌ったり」する行為をしてしまうのだが、たぶん、それとて、フレームとか共同幻想とかな訳で、ほんとうに破れてしまっているのをみると、これはもう保守的に、理解不能になるのではないかという恐れもある。もうなっているような気もする。

これ別に、この月の作品の雑感じゃないよなあ。
自選。
  練り切りを口に含んでゆっくりと舌で圧(お)しつつある君の黙

  星と星を懐中電灯で結びながら最後まで星の話しかせず

  このビルの裏路地のどこかわからぬが木犀がある、告ぐことならず

  地球ゴマの指の横まで傾いて離れんとする、求めんとする

  朝という場所の明るさ、ひかりとはやはり讃嘆する意を秘めて

  青空の広がる前はなにかしら一過するらむ、辛いことだが

  さびしさは知性のどこか、独語せぬ対話プログラムの待ち時間

2013年10月の31首

エイブラハムは鬱々思う奴隷なき未来に我は憎まれたるや

彼岸花用水の土手に群咲いて今のところは眺めいるのみ

すぐばれる嘘をさりげに混ぜ込んで彼女は生きる粧(めか)し違(たが)いて

何度目かのラストチャンスか残り世をニコニコ生きるか否かの分岐の

秋の米含めばあまし、斬ったのが馬謖であれば涙も流る

雨上がりの蜘蛛の糸にもかがやかずデバイスは君の言葉とつなぐ

練り切りを口に含んでゆっくりと舌で圧(お)しつつある君の黙

鼻先に木犀を寄せて反応を見る君をみる、君に尾を振る

星と星を懐中電灯で結びながら最後まで星の話しかせず

機械から生命の坂をなんだ坂こんな坂とて登りし記憶は

このビルの裏路地のどこかわからぬが木犀がある、告ぐことならず

被援助志向早めに断ちてその後に「困ったらすぐ言いな」と笑めり

追いつかぬけれども走る、身内(みぬち)焼く願いが業に鋳込(いこ)まれるまで

業深き子役の笑顔、おっさんの我が部屋も更け浅漬けを食う

テレビ切ればしんしんと少し肌寒く懐(ふところ)ふかき秋の夜長ぞ

地球ゴマの指の横まで傾いて離れんとする、求めんとする

朝という場所の明るさ、ひかりとはやはり讃嘆する意を秘めて

この生を死ぬのは一度、夜半(よわ)覚めてあれこれ時にまざまざ選ぶ

冷蔵庫にいただきもののラングドシャ、ちびちび食いつオータムに入(い)る

雨と知れば出る予定なき休日に出かけたかった無念のみ湧く

やり過ごす為の密かな知恵としても規則正しく人はあるなり

文字はもう塩昆布(しおこぶ)となり非言語の海で笑顔のあなたが見える

静謐よりしずかなものの共有を終えて余韻を立てるダンサー

不協和音の定義は代わりこの音はかつて和音でありしトリビア

青空の広がる前はなにかしら一過するらむ、辛いことだが

スコップの泥こそぎつつ沈みゆく心のもろもろなどもまとめて

進みゆく予測の円は広がりて外れることなく、なかばにて消ゆ

悲しみと同じ数だけうまいものがあるかもしれぬ、泣きそうに食う

今度君に会うのはたぶん西暦で4000年なら優しくしよう

さびしさは知性のどこか、独語せぬ対話プログラムの待ち時間

包むればぐいと頭を圧(お)してくるハムスター温(ぬく)し頼もし嬉し

2013年09月作品雑感。

この9月でてるやさるどうがツイッターで短歌を作りはじめて1年となる。

この作品もすでにブログには載せていて、「アニバーサリー、メモリアル」というタイトルをつけている。9月の記念日を題詠にしたものであった。

なんの記念日だったか書き留めておかなかったので、調べてみたが、だいたいこういう記念日だったと思う。

1「防災の日」
2「靴の日」
3「ホームラン記念日」
4「くしの日」
5「石炭の日」
6「クロスワードの日」
7「CMソングの日」
8「国際識字デー」
9「救急の日」
10「カラーテレビ放送記念日」
11「公衆電話の日」
12「水路記念日」
13「世界法の日」
14「コスモスの日」
15「大阪寿司の日」
16「マッチの日」
17「モノレール開業記念日」
18「かいわれ大根の日」
19「苗字の日」
20「バスの日」
21「世界アルツハイマーデー」
22「カーフリーデー」
23「万年筆の日」
24「畳の日」
25「主婦休みの日」
26「ワープロの日」
27「世界観光の日」
28「パソコン記念日」
29「洋菓子の日」
30「クレーンの日」

記念日を書かなかったのは、題詠がそうなのだが、その題をどう織り込んだか、という視点が発生するからで、それを避ける気持ちがあったかもしれない。もっとも、タイトルに記念日を匂わせているので、何の記念日を歌っているのか、という別の視点が発生してしまう難点もあるのだろうが。

自選。
  非常食の美味しすぎない配慮など少し可笑しくのち、しん、となる

  気持ちではなくて気分がわかるらし手櫛で髪を調(ととの)えおれば

  水門の湛える水のその中で始まり終わる生を思えり

  モノレール高架の下で雨を避(よ)けいつ止(や)むべきか分からぬ、生も

  世界中を観光に巡りめぐりはて近所のお堂の梁(はり)見上げ泣く

  クレーンの指す方向に月ありて意義深き時を居る心地する

2013年09月の30首

非常食の美味しすぎない配慮など少し可笑しくのち、しん、となる

靴下を靴に押し込み海までの数メートルの裸足だけ夏

ホームランの数を競いて戦後とは明るくなりぬ、昭和の話

気持ちではなくて気分がわかるらし手櫛で髪を調(ととの)えおれば

大森林が石炭層になるように我が生もいつか少し役立て

クロスワードのアルファベットを並べたら「ミルマエニトベ」そんな無体な

CMソングを口ずさみつつ席を立つ分かられづらい怒り見せずに

槃特は文字がいかにも読めなくて悩みはするが過ぎれば笑(え)めり

救急車が増えてゆく街、サイレンに揺れいるごとし菊の花酒

カラーテレビ誕生までは世界には色なかりしと思わざれども

銅貨を落とす擬音で始まる外国の「公衆電話」という曲ありき

水門の湛える水のその中で始まり終わる生を思えり

法による世界平和を惟(おもんみ)るレイヤを渡る群れの車内で

人もまた外来にして群生の破壊の種なる、コスモスの揺(ゆ)る

ぎっしりと詰められて大阪寿司の帰途で食いつつ泣く、鼻腔(はな)痛く

海を恋う心地にも似て玄関で捨てるマッチを燃やしては消す

モノレール高架の下で雨を避(よ)けいつ止(や)むべきか分からぬ、生も

カイワレの栽培棚に長く立ち吾も辛き味の満員電車

苗字とか住所の話をせぬままに分かり合いしが思い出せずき

非悲劇的な乗り物なのでさよならも少し寂しくない深夜バス

我がかたちも記憶こぼれるまでという切なる願いもこぼれていくか

プライドのように輝く自動車の休日、終日洗う男の

ぬるま湯に万年筆のペン先を溶(と)けばただよう昔日(せきじつ)のあを

青春の清しき終わり六畳のアパート解体ののちの跡地は

主婦休みにすることもなく結局は片付けている無言なる午後

わが文字を活字にできる驚きもそのワープロも今はあらずや

世界中を観光に巡りめぐりはて近所のお堂の梁(はり)見上げ泣く

許可を得て父の書斎に友と入りゲームで遊びきパソコンサンデー

道の端の落ち葉踏みつつ洋菓子店を過ぎ、引き返してミルフイユ購(か)う

クレーンの指す方向に月ありて意義深き時を居る心地する

2015年12月13日日曜日

2013年08月作品雑感。

この月の作品は、このブログをこのころスタートしたこともあって、すでに掲載している。
2013原爆対話編八月円環記の二つだ。

八月円環記は、8/1から8/31までの短歌を、5句の言葉と初句を繋いだもので、「八月の〜身じろぐ」→「身じろぎも〜はじまり」→「はじまりは〜噴出孔の」とつなぎ、最後「怯えては〜いとし、八月」で風味を閉じ込めたものであります。料理か。

原爆対話篇は、そのなかの8/6の一首からのスピンオフで、俳句と短歌が返しあう対話形式とした。

自選。
  身じろぎもせぬ一瞬が承諾か拒絶か聞けぬ夏のはじまり

  噴出孔の熱のけぶりに交ぜられて強く閉じれば目の生(あ)るるなり

  一景に迷う、廃墟の東京の地震の秋か空襲の春か

  生まれたる以上死なねばならぬのに生き方だけを述ぶる本閉ず

  

2013年08月の35首(と5句)

八月の息を大きく吸うわれに柑橘は色を増して身じろぐ

身じろぎもせぬ一瞬が承諾か拒絶か聞けぬ夏のはじまり

はじまりは我の意識の浮かぶ海の小暗(おぐら)き熱水噴出孔の

噴出孔の熱のけぶりに交ぜられて強く閉じれば目の生(あ)るるなり

生るる神は身罷る神を笑いつつ一新しおり敬意にも似て

相似なす自然の不思議マシュルームクラウドをかつてアメリカは植ゆ

  季語として句作いそいそ原爆忌

  爆弾を落とした罪はさておいて反省しおり苦い顔して

  そも比喩は不謹慎なりオクラ交(ま)ず

  竹山広全歌集読み重たかり想像力も荷を背負うごと

  積乱雲を遠景として蝉の死ぬ

  無生物の同心円の中心の血走った目をブルと呼ぶかも

  子孫からの糾弾愛(う)きや慰霊祭

  爆弾は精神へ至るプロトコルの物理層にて確固とならむ

  ひこうきもきのこも夢は美しき

植えるにはあらず広がるヨシ原の手を探り入れて楽し子供は

子供らも今駆け抜ける現在を老いて懐古の一景とせむ

一景に迷う、廃墟の東京の地震の秋か空襲の春か

春の芽のもうぐんぐんとどんどんと開くとは今を過去にすること

過去の過誤を繰り返すごと善意なお湧く生とうに苦笑いなる

苦笑いして聴いているシステムへの不満のようで要は不平に

不平怏怏(おうおう)水のシャワーで流しいてサーモグラフの青き生まで

生まれたる以上死なねばならぬのに生き方だけを述ぶる本閉ず

本閉じて人と狭さを分かち合う電車、混むのが止むまで戦後は

戦後には戦後の論理、真っ青な空に見入りし感慨なども

感慨はゲニウス・ロキの草むらのヘビの脱皮と風化してゆく

風化して形こぼれていく時に白亜の記憶刹那、脳裏に

脳裏には何度目の夏、上向きの蛇口の水の弧に口を寄す

口を寄すれば嘴が突くコザクラの戦略の枝ふるく懐(なつ)けり

懐かない子らを見守る公園の遊具のゾウは明るきブルー

ブルーなす夜にかがやく満月は理由になるので君に会わずき

会わず思えば星飛雄馬のほっぺたの猫ひげを持つ女と言えり

言いながら詮(せん)ないことと承知して矛先を天に向ける、白雨の

白雨過ぎ雲まだまだらなる空に大会決行の花火とどろく

とどろいて土砂降る雷雨、人間が追い出されるまでゲリラは続き

続きはまた今度と明るく手を振ってそういう風に終わるかたちだ

かたち確かにベントス(底生生物)らしく奇妙にて身を割けば白き肉美味ならん

美味も喉三寸にしてそののちは君の不在も在も苦しき

苦しい日の餌を求めるアリのごと甘味を嗅げり、少し怯えて

怯えては振り返りつつ前に行く背中を見ればいとし、八月

2015年12月12日土曜日

2013年07月作品雑感。

ネットのどこかで、われわれがずーっと昔からそうだと思っていることのほとんどは、せいぜい100年の歴史も持っていない、というのを読んだことがある。

たしかにそのとおりで、それどころか、50年前には50歳未満の人は生まれていないわけで、その人達は、単純に、見たことすらないわけなのだ。
いや、生きてたって、30年前なら記憶だけで語れることに危うさが出てくるし、5年前のいやついこないだの景色も、外部保管媒体がなければ、微妙で適当になって、つまり、人間はだいたい数日前後をうろうろする生き物ではないかとさえ思えてくる。

  駅前の工事終わればたちまちに上書き前の景失えり

人間の指の動きで歴史を構成しなおしたら、1990年代の半ばから、人類は急速に人差し指で軽く押さえる行為が増え、そのクリックと呼ぶ行為によって、人類は知識を吸収し、生産性を上げ、またストレスを抱え込む生き物となったといえるだろう。これは当然、マウスという、齧歯哺乳類の名前を冠したポインティングデバイスの発明によるものだが、このデバイスも、未来永劫に存在が保証されているわけでもなく、数十年もしたら、誰も持っていないものになるかも知れない。

  現生のホモ・クリクタス(クリックするヒト)も減る未来クリック出来る場所に集まる

その時、あの懐かしいクリックの感触と音を求めて集まる人は、若い人にとってはいささかうっとおしい存在であるかもしれない。

  かき氷の青い光を噛みながら同じ話をする側になる

30年前のSFやアニメの設定では、その未来の多くが、人口爆発の問題を抱えていて、この難問を抱えながら、問題そのものが失われることに気づくことすら出来なかった。でも日本は2008年に人口のピークを迎え、おそろしいことに、人口減少について考えねばならなくなった。(これだって未来のことは分からないと言えるかもしれないけど)
共同幻想、というかフレームが変わると、見る景色すべてが変わる。かつて人口減少になやんだ時代はなかったか。その時代はどうだったのか。彼らも滅びを肌に感じたのだろうか。

  縄文の人口減少期の空にかかるエフェクトすさまじからむ

そして、自分たちが減ってゆく時に、増えてゆくものを、じっとりと眺める心境は、いかなるものだろうか。

  とんぼ少年絶滅ののち人界をうかがうようにとんぼあらわる

というか、なんやこの歌物語。雑感としてありなのか、こういうの。

自選。
  固き言葉にまだ成りきらぬ内面のとろりとしたるものだから吐露

  だいたいは三万日に収まれる喜怒哀楽に君といるなり

  橋の下に豪雨を凌ぎ寄り来れば先客の目が集まって散る

2013年07月の32首

友人の記事を読みつつわれもまた何かの花を買わんとするか

百年目の自転車競技を思いつつ慣れにし道を落車するなり

ねずみ色の粘土の背びれするどきをかたまりに戻し遊びに行けり

現生のホモ・クリクタス(クリックするヒト)も減る未来クリック出来る場所に集まる

固き言葉にまだ成りきらぬ内面のとろりとしたるものだから吐露

駅前の工事終わればたちまちに上書き前の景失えり

今日までがセールといって渡されるカタログの夏タイヤ一覧

目が冴えて真夜に思えりこの国語の邪な智の逃げ込める闇を

煙草の輪のきれいに宙に浮くように「わっかりました」の「わっか」清しき

理屈では救えぬところにいるを知り火を受けとらぬ茴香ゆれる

きずなとは悲しき言葉海からの綱離さねど細きゆくよう

酒飲めば寂寥の水位上昇し電話したきがせぬ夜である

だいたいは三万日に収まれる喜怒哀楽に君といるなり

君が貼った取れない言葉の付箋紙が今朝もシャワーにぴろぴろ跳ねる

要求が独裁的に響きたる夕べ、多寡なら多に身を隠す

橋の下に豪雨を凌ぎ寄り来れば先客の目が集まって散る

起きててもしょうがないかと寝るように生き死ぬことの罪を探れり

かき氷の青い光を噛みながら同じ話をする側になる

縄文の人口減少期の空にかかるエフェクトすさまじからむ

とんぼ少年絶滅ののち人界をうかがうようにとんぼあらわる

選ぶようで選ばれている心地してフォトショ加工の顔を瞶(み)るなり

朝もやの農道で野菜もつ我がカラスと対峙せしはうつつか

キミのコト知りたいと書きベタなのかメタなのか分からないまま送る

教条の冷たき言葉を最後まで伝えずなりき、慈なきにも似て

振替輸送に地下の通路を並びいて人生の比喩にしたき誘惑

表現はひたすらさびし、血反吐など一度も吐かず吐ける言葉の

夏休みだったと思う畳間にチャッとくっつく脛(はぎ)を見ていた

さびしいと書けば紛れるさびしさもあるか、静かなタイムラインに

振り向けばすべて決まっていたような未来を前にしばし酔いおり

感傷はかくのものかはひとり海に近づけばつまり生臭かりき

何というカニか知らねど海沿いのアスファルトの上で思案している

公園の明かりがぽっと灯るまで本を読みいし姉妹が去りぬ

2015年12月6日日曜日

2013年06月作品雑感。

6月の短歌だ。こう現在の季節とちがうと、感想を書きにくい感じがありますね。

  かたつむりを知らねば恋えぬ紫陽花の発色のピーク過ぎし一角

かたつむりは、本当にみなくなったもので、かつては、アジサイのイラストには、必ずといってよいほど、葉の上にかたつむりが描かれていましたが(いやイラストではなく現実にも葉にいたものです)、現在は、アジサイは見るものの、かたつむりは見てないですね。

動物は、植物よりも種族として弱いのかもしれません。

  あと何度ぽっかりと胸に穴を開け前後左右にさみしさに圧(お)さる

慣用句とか、ベタな組合せとか(あじさいにかたつむりとか)に対するメタな視点は、日本では、ある時期からもうずっと飽和していて、それがけっこう知的レベルの高い行為である、という意識すらない状態になっているので、現代において表現行為は、どこか二次創作的な雰囲気をともなうことがある。

そして、やっかいなことだが、こういうメタ視点というのは、反転したり、一周することで、同じ言い方に戻ってくることがある。すなわち、ベタを避ける→あえてベタに行く、の反復作用が起こるので、評価が分かれてしまうのだ。

または、ベタな慣用表現が、ある心情を実にうまく言い表していたことを発見するプロセスというのもあって、上の「ぽっかりと胸に穴」なんて、ベタなんだけれども、ここはベタで、いやベタがいい、みたいなことになったりする。

恋すると、浜省がグッと沁みるみたいなね。なんの話やねん。

自選。
  メルカトル図法の北は限りなく引き伸ばされてそれゆえに冷ゆ

  ようやくに夜を惜しまずなる生となるか、車を聴きつつ眠る

  腐りたる叢(むら)より光る虫ひとつ天にのぼると見れどただよう

  夭逝するほど才をもたねば人生は長くて楽しくてわからない

  町よりも土ふたつ書く街に住み記憶の土はいつのぬかるみ

2013年06月の30首

桜の実の歩道の黒き染みとなりふつふつと歩く六月たのし

かたつむりを知らねば恋えぬ紫陽花の発色のピーク過ぎし一角

えのころのいっせいに風に撫でられて自業自得の男沈めり

あと何度ぽっかりと胸に穴を開け前後左右にさみしさに圧(お)さる

製氷器に水を注ぎつ、満ち足りてあとは時間が崩していきぬ

メルカトル図法の北は限りなく引き伸ばされてそれゆえに冷ゆ

見た目にも心地良きこころざしもなく生きいる人と水平におり

君の目の太陽と月は今は少し月光が強く包んで白し

人類史に我とう偽史を挿し入れて撹拌されたホイップましろ

ようやくに夜を惜しまずなる生となるか、車を聴きつつ眠る

淡々と続きを生きていく日々のなお眈々とする時もあり

カロリーにて生くるにあらず、昼を抜いてケーキセットに至る心の

雨に濡れて吾を見よとぞ紫陽花のあざやかに濃きひとむらの黙

腐りたる叢(むら)より光る虫ひとつ天にのぼると見れどただよう

眷属は鏡のごとし、後輩の浅ましく上手い行為に沈む

複雑性悲嘆にも似て絶望は時に快楽(けらく)となることもある

懐かしい一角に来て木造のアパートと過去が無いことを知る

路地裏に夕餉の香りたなびいて、見えておらぬがたなびくでいい

燃焼の同義にて生、汗にじませ夏至近き日の全部肯定

夭逝するほど才をもたねば人生は長くて楽しくてわからない

雲なくばオレンジ色の月を背に帰るにあらん夏至の家路を

生活に"馴れて"思いしにわが声が李徴か虎か不意に迷えり

肯定のらり否定くらりと終わらない電話、予定を潰して聞けり

雨上がりの恐竜児童遊園に使用禁止の遊具くぐもる

何もせぬ男が抱く絶望も希望も幻肢の痛みと似たる

町よりも土ふたつ書く街に住み記憶の土はいつのぬかるみ

天道も是々非々にして現実を丸呑みにするクジラ泳がす

白樺の皮を削りて「奮迅」と手書きしただけのスーベニアあり

仏典に慈悲魔、魔仏のあらわれて魔とは反転、いな、鏡映か

六月の終わりの朝のあたたまる前の空気とコーンフレーク

2015年11月29日日曜日

2013年05月作品雑感。

前回は文系不要論的な話をしましたが、古くは夏目漱石の小説なども一段低級な娯楽と考えられていたように、文学といわれる存在がなにか高尚な、立派なものであった時代というのはそもそも少なくて、現在は文学が低迷しているように見えているけれども、やはり日本の戦後がちょっと特殊だったのではないか、というふうに思ったりします。

文学は、かつて心理学が普及しだした頃も、文学なんて不要に思われただろうし、情報処理技術が発展した頃も、文学の役目は奪われるように感じられたし、昨今では、社会学がことごとく現象に名前をつけてゆくので、文学がようやっと編み出した言葉も、ああ、〇〇のことね、と理解されてしまったりします。

  NIMBYのエゴを正義にすり替えて傷つきたくない行列が行く

そうした時代に短歌表現は、気の利いた言葉あそびだったり、伝わりにくい個人感覚だったり、あるいは、用語のコミュニケータだったりしながら、ハイコンテクストに、誤解と理解の草をなびかせてゆく。

  マザーグースのことばのようによみかえてよみかえてなお不思議なあなた

かつて、このまま短歌を続けるのはあまり良くないのではないか、と考えて、離れた時期があった。自分が、短歌を作ることで、自分は短歌的に思考し、世界を短歌的に切り取って理解する癖がついてしまったのではないか、と恐れたのだ。

  国際化できえぬ宿痾、日本語が世界を日本語化して佇む

それについてはいろいろあって現在なわけですが、まあ短歌的というには、もうちょっと上手いのを作れよ、という声はおっしゃるとおりです。

自選。
  ゴータミーの悲しみが消えたわけでなく孤独が加わって罌粟の咲む

  新世紀13年目の休日を浴槽で少し居眠りをする

  さわやかな初夏の電車の昼前の床にひとつの海月溶けおり

  数日で消えると知りて洗面器にくらげを飼うことを許したる父

  だんごむし死しては生まれ生まれして人間の終わる日を待ちにけり

  今日の光を真白く受けて万華鏡の細片がぎこちなく落ちつづく

  陽の光に部屋の埃の舞い上がるしばらく、ひとつの肯定ありぬ

2013年05月の31首

海の名を冠した山の名の酒にひとしきり酔い五月、花桃

端末の電波の強度をタネにして知人と呑みつ、年古ればかく

檻を離(か)り森のけものとなる今も人間を見れば一声鳴けり

小書店に君の名前を見つけるも文体少し寒々しかり

兄の子を片手であやし失くすまで確かに持ちいし生の意味思う

紙魚跳ねて泳ぐ気配の古書店の正午を過ぎて思想かたよる

NIMBYのエゴを正義にすり替えて傷つきたくない行列が行く

マザーグースのことばのようによみかえてよみかえてなお不思議なあなた

国際化できえぬ宿痾、日本語が世界を日本語化して佇む

ゴータミーの悲しみが消えたわけでなく孤独が加わって罌粟の咲む

別れの日にこんな笑顔を見るなんて祭りのお面の中の汗顔

新世紀13年目の休日を浴槽で少し居眠りをする

十年を一日にして蝋燭の消えそうなまでうねって消えず

霊長のまなざしをもて森林とともに減りゆく生き物を観る

さわやかな初夏の電車の昼前の床にひとつの海月溶けおり

老兵というわけでなく、魂も肉体もすぐに君から去らむ

数日で消えると知りて洗面器にくらげを飼うことを許したる父

だんごむし死しては生まれ生まれして人間の終わる日を待ちにけり

今日の光を真白く受けて万華鏡の細片がぎこちなく落ちつづく

来世紀もクリックすると人類は思えず、遅い昼食に行く

あーあ、と嘆くほど土屋文明の歌面白く四十路のくるか

死者名簿を風通しして吹く風の去りしようにて居るここちする

板縁に腰かけて眺むあじさいの色決まる前のみどり若やか

「差別的」は差別か否か、「父親的」と牽制されて君に突っかかる

投影の技術のことを考えてプラネタリウムの時間終わりぬ

甘すぎるミルクティーなり、仕事から逃れて迷わず頼んだものは

花の降る午後に誰かが祝福を受けるにあらむ、泣くまいと思う

陽の光に部屋の埃の舞い上がるしばらく、ひとつの肯定ありぬ

気圧計で気圧の下降を確かめてこの失望を頭痛と知りぬ

枯れ枝の完全に枯れてしまうまで芯は青さに湿れるものか

生きている世界をうんと変えるべく夏断(げだ)ちをはじむ、世界とはわれ

2015年11月28日土曜日

2013年04月作品雑感。

もう来週は12月なので、ずいぶん寒くなってきました。日本人はマスクをよくしている、と何かで読んだ記憶がありますが、日本人にとってマスクは、風邪や花粉症だけでなく、防寒具であったり、もっとメンタルな装備であったりします。

  マスクとは拒絶のかたち、ウイルスから花粉から匂いから社会から

マスクも数年前から比べると高くなったよね。

最近の話題で、文系学部不要論みたいなのがあって、これ自体はむかーしからある理系文系対立の系譜だろうし、実利と豊かさみたいな(いや、逆に豊かさは実利で実利は豊かさで、みたいな)軸のコンセンサスがとれていない議論が繰り返されるのだろうけれど、文学史を振り返ると、文学はやはり豊かさのようなものが前提に必要であるし、本質的でありながら余剰、不要分も含まなければならなくて、攻撃されるのは当然であると思いながらも、数が減ると貧しくならざるをえないなあとは思う。

  「文学は突進せよ」のアジ遠く仮死状態の眉が引き攣る

  茂吉忌は二月だったか、敗戦後葡萄を見ている老人を思う

たしかに文学は、サッカーの日本代表のレベルを上げるにはサッカー人口を増やさないといけないような側面もありながら、結局天才1人が道をひらく、そういう側面があることも否めないけどね。

自選。
  善も悪もいや生い茂る律動の春とう舟にわれも揺れつつ

  落ち椿馘首のごとく無残なりし門前も掃除されて跡なし

  一寸の虫にもあらむ魂のナノあたりから比率あやしき

  虫眼鏡の焦点を過ぎて広がりぬ円錐形の淡き明るさ

2013年04月の30首

善も悪もいや生い茂る律動の春とう舟にわれも揺れつつ

人の壊れに段階のあるを思いつつ真顔の母に笑顔を返す

もう少し白くてもいいこの街を高架橋から君と見ており

確率論のしわざのままでいたいから因果を云うと聞き流すなり

イヤホンのヘヴィーメタルのサウンドがバロックめく頃会社に着けり

絶句して桃を見ていた、過ぐ春の空気も光る風景にあって

「文学は突進せよ」のアジ遠く仮死状態の眉が引き攣る

茂吉忌は二月だったか、敗戦後葡萄を見ている老人を思う

レーゼドラマのような女性のジェンダーの口調で我を拒みてし人

クリックで分かり合えたる心地して釣り合わぬほどの孤独の生(あ)るる

浴槽に身を沈めふと幸福はあふれるごときことかと思う

落ち椿馘首のごとく無残なりし門前も掃除されて跡なし

マスクとは拒絶のかたち、ウイルスから花粉から匂いから社会から

景として君のピントはぼやけゆき青黛の眉のラインひとすじ

音楽の孤独の部分ばかり聴き薄青き朝をさみしく思う

いまひとつ掴めていない言説が承認されないことぞたのしき

セーヌ川に頭を突っ込む日本人の曲を聴きつつ目黒川越ゆ

貴種流離の花屋の娘が変装し悪と戦うアニメの世界

嘘をつく子供の目には臆病と怒りと怯えと優しさがある

校庭のなんじゃもんじゃの木の下で少年期ひとつ終わるを見おり

放課後の食堂の脇で延々と音階練習して青春期

苦しみを乗り越えて君の精神の様のごとくに深きホルンは

コンビニのポスターで知る定演の店長OB説の妄想

ここまでは来たのだけれどコンビニで一本煙草を吸うまでに決める

目の前に分岐コマンド現れてリスクを選ぶ心を量る

確信もいらぬ理詰めの手堅さで人間の玉が詰められていく

生命の系統樹には僕までの運ぶ決意が枝なしていて

アクセスの切れ目が縁の切れ目にて私淑とか格好つけてさびしき

一寸の虫にもあらむ魂のナノあたりから比率あやしき

虫眼鏡の焦点を過ぎて広がりぬ円錐形の淡き明るさ

2015年11月23日月曜日

2013年03月作品雑感。

よく、薄っぺらい社会批評は、大きな事件があると、すぐ◯◯以前◯◯以後なんて言い方をする、と書かれたりするが、2013年3月は、やはり、震災2年目であった。

東日本大震災は、地震と、津波と、原発事故の側面があるが、災害から2年経つと、その被害の大きさは、津波、地震そして原発であったことが、冷静に見えてくるのだ。

  死者もまた生きたるものの身を案じ繋がっている一日(ひとひ)となりぬ

  翌日はただの日常、忘れられぬ人々を置いて記念日過ぎる

いやおうなく時間はすぎて、冬は春となってゆく。

  海を走る春風の足が水を蹴り白くめくれて舞い上がりたり

3月になると春の歌が増えてくるが、書いている今が11月なので、あまり引くのもどうかという気分になる。

自選。
  愛想笑いで異国の夜を起きながら部屋では抑えがたきこころざし

  脳という記憶の森が生まれては消えてゆくのだ心配いらぬ

  春なので夜の道路を横切って二匹の猫が揉みあって消ゆ

  

2013年03月の31首

演劇批評に植民地の語あらわれて細き定義のかげろうをみる

腓の細い女の何に憤りデパートの床の反射を睨む

一生二生を君と別れてその後は彗星のカーブ過ぎたるごとし

水車小屋は冥府の口に佇んで午睡のような声響くなり

彗星の軌跡のついに違(たが)えれば星のまたたく意味ひとつ知る

いにしえは洞窟に知を匿いて巨人となりて天球に触(ふ)る

地を割って濫喩の馬が湧き上がり鼻を鳴らして探すは我か

杉玉のくたびれている居酒屋に人を待ちいて何ぞ朽ちいる

昼間から酒飲むオヤジの軽口に笑う店員の日本語訛り

愛想笑いで異国の夜を起きながら部屋では抑えがたきこころざし

死者もまた生きたるものの身を案じ繋がっている一日(ひとひ)となりぬ

翌日はただの日常、忘れられぬ人々を置いて記念日過ぎる

海を走る春風の足が水を蹴り白くめくれて舞い上がりたり

「社会からしばらく席を外します」付箋を貼って明るき午後へ

パスワードを記した付箋を失ってもう二十代にログインできぬ

花びらのひとつコップに浮かぶのを見ていし春よ、あれより独り

せんだって胃瘻の報を聞きたりしが今日訃のメールが来たる知人の

選びくれし菓子のいつでも美味しくてその才能の訃報を聞けり

脳という記憶の森が生まれては消えてゆくのだ心配いらぬ

瞳から君が湛えてきた夜の森林を見つ、木陰の蒼し

君のいう天国(heaven)はどこか避難所(haven)の匂いを帯びているが触れずき

桜並木を抜ければ車ごとの春、春の男の顔をするべし

二十年の旧友に会う、鰹節の表面のような会話でもよし

春なので夜の道路を横切って二匹の猫が揉みあって消ゆ

見る前に跳ぶか否かを迫りいし昭和、レミングの自殺も虚妄

成し遂げねば死ねぬ理想に取り置かれ残滓は残滓として節しおり

持続可能な未来の為に人類は節制すべし、まずは数から

見上げては春が来たよと呼びかけつ、つぼみのままの夜の枝先

人なきあとネットのアスレチックには女と猫が愉しんでおり

明け方のまだ明けきっていない夜オリオン傾きいる臭い街

ゲーテ論の終わりまできて乙女座の性格とされて論ごと消せり