短歌というのは本来ハレとケの、ハレに属するものなので、毎日詠(うた)うなんていうのは矛盾しているもので、その矛盾はしんどさとなって人を襲うので、こういうことはやるべきではないのだろう。
だいたいストックもないのに始めたので、たしか1週間もしたらかなりしんどかったと思う。
10月は、秋という、変化を感じやすい季節なのだろう、そういう短歌が目につく。
少しずつ季節が変わりゆくようなことであるよと言いそうになる
太陽が沈む世界に夕方はそれ自体良き知らせのごとし
待つことと育むことと何もせぬことの間で麦酒を注げり
人の心は秋の空とか、湯豆腐の崩れぬものは奥に熱なく
先日、ネットの記事で、「飛行機」が誕生するまえに「紙飛行機」は何と呼ばれていたかという記事を読んだけれど、同様の問題に、糸電話というのがある。
紙コップと電話の普及してのちに糸電話なるおもちゃ生まれる
糸電話にも言及されていたと思うが、明確にはわからないようだ。ちなみに紙飛行機は、紙ダーツだったとか。
この企画も、どこまで続くだろうか。ネットにあるものは、突然あるし、突然消えるものでもある。
電脳に預けておいた思い出は失うだろう、悲しみもなく
今回の自選は以下。
仏教に帰依したのちも時々は柘榴を噛みていし母の神
抜け殻の僕はどこまで行くだろう橋本行きは橋本に行く
表現は風にふかれて俺の顔にぺっと当たって消えゆくものを
悲しみが死滅せぬのでもう少し風に吹かれてから帰ります
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