2015年11月7日土曜日

2012年10月作品雑感。

短歌というのは本来ハレとケの、ハレに属するものなので、毎日詠(うた)うなんていうのは矛盾しているもので、その矛盾はしんどさとなって人を襲うので、こういうことはやるべきではないのだろう。

だいたいストックもないのに始めたので、たしか1週間もしたらかなりしんどかったと思う。

10月は、秋という、変化を感じやすい季節なのだろう、そういう短歌が目につく。

  少しずつ季節が変わりゆくようなことであるよと言いそうになる

  太陽が沈む世界に夕方はそれ自体良き知らせのごとし

  待つことと育むことと何もせぬことの間で麦酒を注げり

  人の心は秋の空とか、湯豆腐の崩れぬものは奥に熱なく

先日、ネットの記事で、「飛行機」が誕生するまえに「紙飛行機」は何と呼ばれていたかという記事を読んだけれど、同様の問題に、糸電話というのがある。

  紙コップと電話の普及してのちに糸電話なるおもちゃ生まれる

糸電話にも言及されていたと思うが、明確にはわからないようだ。ちなみに紙飛行機は、紙ダーツだったとか。

この企画も、どこまで続くだろうか。ネットにあるものは、突然あるし、突然消えるものでもある。

  電脳に預けておいた思い出は失うだろう、悲しみもなく

今回の自選は以下。

  仏教に帰依したのちも時々は柘榴を噛みていし母の神

  抜け殻の僕はどこまで行くだろう橋本行きは橋本に行く

  表現は風にふかれて俺の顔にぺっと当たって消えゆくものを

  悲しみが死滅せぬのでもう少し風に吹かれてから帰ります

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